クラブ情報

京大OLCの歴史や販売している地図など、様々な情報を記載しています。

京大大会の歴史

第1回京大大会

クラブ創生期の手探り状態の中、行われた大会。当時1回生だったクラブの第2期生が、京大の近く、大文字焼で有名な山の調査を単独で開始したものの、クラブ内には当初、大会開催に関して懐疑的な意見が多かったらしい。というのも、当時の関西でのオリエンテーリング環境は全然十分には整っておらず、関東に行かねばなかなかまともな大会に出られないような状態であったのだ。そんな中、鶴の一声でクラブとして大会を開くことが決まり、大会開催はようやく実現に向けて動き出す。 この大会では、今となっては当たり前だが、当時の関西では画期的なことが多く行われた。 まず、地図の5色刷りである。当時の地図では植生による通行可能度が入ったものは稀であった。ひどいものになると、単に国土地理院発行の1:25,000地形図を利用しただけであったりしたから、そんな中、大学クラブのつくった通行可能度3段階表示された地図は珍しい存在となった。 また、この大会では、事前申込の受付と、スタート時刻の指定制が導入された。これも当時としてはあまり主流ではなかった事である。 GWに阪大の大会との連日開催。京大の農G(農学部グラウンド)を会場として行われた。当日は雨であったが、クラブの大会運営の礎を築く記念すべき大会であったのは間違いない。

第2回京大大会

第1回の大文字大会の成功を受けて、次の大会を開くことになり、ずっと以前から調査が始まっていたもののしばらく中断していた京都市宝ヶ池がテレインに選ばれた。テレインの狭さから、京大大会の中で唯一のリレー大会というスタイルで開かれることになった。 ちょうど同時期に立命館大OLAが滋賀県の蓬莱の多色刷りでのリメイクを構想し、関西の大学クラブに大会開催を呼びかけた。それは立命・京大・京都府立大・龍谷大の共同の京都学生OLC連合開催の蓬莱大会として実現することになった。 しかし逆に、第2回大会の地図調査・運営は厳しくなった。そんな中での蓬莱大会のなんと2ヵ月後での大会は見事、無事に開催された。参加数は実に58チームあった。 蓬莱大会での成功と相まって関西でも本格的なO-マップは着実なものになりつつあった。

第3回京大大会

記念すべき第1回大会の大文字を北側へ拡大リメイク。その北側は山中越えにまで達しており、現在の山紫水明の原型がここにあります。目標として「旧大文字の暗い緑のイメージを払拭すること」や「全員が地図作成に関わること」とあります。前者に関してはおそらく1回目の時に完全には調査できてないことの現れなのでしょう。現在ももちろんとても通れない部分は存在していますが、それは僅かです。これも何回も調査されてきた結晶といえるのでしょう。後者に関しては現在も引き継がれていることであり、OBの協力をはじめ、24~26期の出来る限り多くの人が関わっております。

第4回京大大会

1987年1月11日、「霊山」にて開催された。当時、「京大史上最高の大会」と言われたのも納得できるくらいの大規模な大会となった。遠方の開催にも関らず、好テレインに恵まれ参加者は500人を越えた。 しかし、この大会の成功に至るまでには様々な苦労があったようだ。第3回大会後、暇を見てはテレインハントに繰り出していたようだが、なかなかいいテレインにめぐり合うことができなかった。行ってはボツの繰り返しでテレインハントに行くにも期待を失くしかけていた頃、この「霊山」と出会った。植生が悪いのが一般的であった関西において、その植生の良さに驚かずにはいられなかったようだ。こうして、テレインは「霊山」に決定した。 次に調査であるが、チェルノブイリの放射能入りの雨、蚊、ヘビそして暑さに悩まされて悲惨を極めたようだ。 こうした苦労を乗り越え、第4回京大大会は無事に開催され大きな成功を収めた。

第5回京大大会

1989年5月3日、ちょうど大阪府高槻市と京都府亀岡市の境界に位置する明神ヶ岳で行 われた第5回大会。 この前に行われた蓬莱での大会運営の不振から運営メンバーは大会成功を不安に思っ ていた。事実始めのころは広報の割に申し込み数が伸びなかったが、締め切り遅れの 申し込みが多数あり事前申込者369名となった。さらに当日参加者も100人を超え、総 エントリー472名と大会は大成功に終わった。 また一次調査では多くが週3-4日調査に入り、調査人数が20人/1日を越える日が続い たことからも、その大会運営にかける熱意が伝わってくる。

第7回京大大会

関西の名テレイン「青山高原」が初めて作られた大会であるが、このテレインを見つけるまでが大変だった。今はプロマッパーの中村弘太郎さんが「売れる地図を作ろう」という考えで、基本的に交通の便が良く多少ヤブクても近いテレインか遠くても良質なテレインを求めて約半年間地道なテレインハントの結果このテレインが生まれた。地図調査ではかなり広い範囲を限られた調査者でやるため大変だったようである。特に小長井さんの苦悩がつづられている文章が多い。昔も今も変わらないことが分かった。 この大会ではクラス分けを大学生のことを考慮して21歳と22歳、17歳と18歳を区別した。阪大と同じクラス分けをするにあたっていろいろ悩んだようである。OK2daysとしてチェイシングスタートも取り入れられていました。

第8回京大大会

1992年4月26日、三重県阿山郡伊賀町で開かれた。テレインは5年前の第4回京大大会で使用された「霊山」を拡大リメイクしたものであった。 第7回京大大会での苦労を思い出しての否定的意見もある中、1991年6月に開催が決定した。夏頃に「霊山」のテレイン内にゴルフ場を建設する計画があるという話が飛び込んできた。テレインを変えて大会を延期する話も持ち上がったが、ゴルフ場予定地を削ってでも「霊山」で開催することが決定した。 当日は好天に恵まれ、約500人が参加した。その様子が朝日新聞の伊賀版に載った。 大会開催に対してクラブ内で意見対立があったこと、地図調査合宿に参加した人数が少なかったこと、等等様々な問題もあったようだが、大会は大きな事故も無く終了した。

第10回京大大会

第10回京大大会は1995年5月21日(日)に葉隠甲賀(滋賀県甲賀郡甲賀町・甲南町)で14・15期が運営の中心となって行われた。この大会の開催がクラブで話題になり始めたのは1993年の春であるらしい。その約1年後から実際に地図調査が始まり、1回生にも調査のメンバーに声をかけていた。 この大会は、当初5月5日に開かれる予定であった。事情で遅らせざるを得なかったのである。そのためか、前回の京大大会参加者が400人強であったのに比べ、大幅に参加者が減ってしまった。しかし、今回の京大大会でイベントアドバイザーをしていただいている小林康浩さんを含め245名のオリエンテイアがあいにくの雨模様の中、大会を楽しんだ。

第11回京大大会

1997年に滋賀県滋賀郡志賀町にて行われた。 滋賀インカレ(92年度)のモデルテレインコースとなった「蓬莱Ⅲ」をリメイク。関西では珍しい片斜面のテレインであり、このテレインの地図調査はとても困難なものであった。 大会は、当時3回生だったクラブの17期生が中心となり、4回生(16期)から1回生(19期)までが運営し、さらに当時一緒に活動していた京都工繊OLCも運営に加わっていた。 大会当日は晴天に恵まれ、大会会場の志賀中学校からは琵琶湖が一望できた。 マップの右端には琵琶湖とJR湖西線があり、マップアウトした参加者が湖西線にエイミングオフし、電車に乗って帰ってきたという逸話が残っている。 この京大大会の地図に関して、京大初のOCADマップであったということは特筆すべき点である。

第12回京大大会

第12回京大大会は、滋賀県「ほうら蓬莱」で行われた第11回大会から5年を経、復活して行われた大会でした。1997年秋に開催されてから5年も経っていることから、情報がなくいろいろと苦労したそうです。テレインは関東の方からもたくさん参加してもらえる大会にしたいと考え、アクセスの良い「関が原」に決定しました。地図はRMOサービス作成による「古戦場」のリメイクマップです。 コースを組むに当たっては、山が厳しいため、高齢者や初心者が走るクラスをいかにおさえて組むか、が難しかったようです。また、大会一ヶ月前の試走では記録的な猛暑により完走率が約3割しかなかったそうです。そのため、各コースとも当初よりも距離がかなり短くなりました。 また、会場からテラインが遠く、運営全体に負担をかけました。しかし、各ウイニング時間は、おおむね予想通りであり、また当日の運営はスムーズに流れてトラブルもなかったようです。懸念されていた参加者の人数も599名となり、大成功した大会でした。

第13回京大大会

2003年に天王山にて行われた。 竹林、激斜、美地形のテレインで、調査は困難であったらしい。 また、この山は蚊が多く虫除けスプレーはもちろん、殺虫剤も調査の必須アイテム! 運責は境界調査中に隣接しているサントリーのウイスキー工場に突っ込むという経験があるらしい。 試走では登りの少ないプランを選んだにも関わらず、現地へ行ったら超激斜。 地図上ではコンタ2本分なのに、現地へ行ったら30mの斜面というネタ満載のテレイン。 大会当日は晴天にも恵まれ、500人の参加者。 地元民からもたくさんの参加があり、大盛況で終わったとさ。

第18回京大京女大会

第18回大会は、15回大会で先輩方が作った「上桐生」を拡大リメイクし、33、34期が中心となって運営しました。17回大会で調査の経験のある33期メンバーが南エリアの調査を担当しましたが、 微地形が発達しており調査は困難を極めました。また、北エリアは大会開催が夏場であったために非常に藪が発達しており、調査はもちろん、コース回しも苦労しました。 二日間大会と銘打ち、同一テレイン南北に分断し、一日目は北エリア(上桐生(北))でリレー競技、二日目は南エリア(上桐生(南))でミドルディスタンス競技を行い、 参加者は二日間合計で400人以上と大盛況のうちに大会を終えることができました。

第20回京大京女大会

第20回京大京女大会は五山送り火で全国的に有名な大文字山で開催された。激斜、やぶい、微地形と典型的な関西テレインで、前回大会から約半年しか経たずの開催ということもあり調査は困難を極めた。京大から自転車で10分でテレインまで行けるという立地のせい(おかげ?)で、午前中に授業が入っていても午後からは調査に行くことができ、このことも調査者の負担を大きくしていた。 また、前日には京都市内でロゲイニングの大会を開催し、二日間でのべ500名弱が秋の京都を駆け抜けた。